月まで連れてって

好きなものをブログに書きます。

0. はじめに

親切なブログを目指しているので、好きなものの話をブログにしようと思った経緯を先に説明いたします。

 

テレワークという言葉には、そこはかとない昭和のバカっぽいエロを感じると、以前知人が指摘していました。

テレワーク、の接頭辞である「tele」には遠隔、や望遠、といった意味があるそうで、テレホン以外の言葉も含むらしく、使われている意味に適った言葉ではあるようです。でもなんか、ほんとそこはかとなく前時代的な香りのする言葉ですよね。BGMにWe Built This Cityかかってそうな感じ。

2020年1月、来たるべき東京オリンピックに向けて、気が狂うほど人で溢れるであろう首都東京への通勤を避けるため、出社しない働き方を標榜し、私の現在の勤め先では件のテレワークをトライアル実施。結果として「あれ、これ出社いらない?」という意識を僅かながら我々の心に植え付けたこの未来への試みは、憎たらしいウィルスにより、オリンピック延期と共に図らずしもすぐに実用化されることとなりました。

家で働く。ということは、家族を除く他者との直接の関わりを大部分絶たれることになります。仕事の中身自体は正直、今現在の私の人生ではあまり重要ではないのでどうでもいいですが、仕事の後の時間はそうではありません。私は、会社ではなく、「誰か話せる人のところ」に出勤していたのかもしれません。誰とどのように時間を共有していたか思い出せないほど、私は家族以外の誰かと日々話し、時間を埋めていたのだとようやく気づいたのが4月終わり頃。

人と人が遠隔で繋がるのは、希望だと思います。だから、直接じゃないと嫌だ、というのはわがままであることは分かります。でも、最早理屈とか言ってられません。

リモート飲みは遠くの人にもすぐ会えてお金もかからない、切ったらそのままPCの電源と照明を落とせば最悪寝られる手頃さに加え、何より隔絶された世界で他者と繋がれる素敵な一つの道筋でした。ただ、充足感や虚しさを消化できる帰り道の無い交わりは、明らかに私の精神を磨耗し、気付けば誰とも話さず、ただ布団にくるまる日が多くなっていきました。オンラインでのやり取りの僅かな時差が、とてつもない距離のように思える、そんなセンチメンタルさが呼び起こされ、概ね屍のような時間が多く過ぎました。(まじでめちゃくちゃ酒を飲んでました)

そんな中でも日は過ぎ、自分に立ち返る時間がひたすら増えていく中で、孤独に耐えるために生活を富ませようという発想にはごく自然に至りました。しかし、ここで「どうやって?」に直面します。何をすれば、私は自分の機嫌が取れるのか?何に囲まれていればこの一人の部屋は居心地が良くなるのか?なんとなく、で抱いていた何かへの愛情へ、明確な答えが欲しくなりました。

私の記憶力はかなり低いと日々自覚します。言葉が残らなければいろんなものは薄まっていきます。その遠い感覚も愛おしくはありますが、残すことの方に最近は愛を感じるので、記録しようと思い立った、以上背景になります。

 

と、大袈裟に書きましたが、シンプルに言えば私の好きなものとそれらへのコメント、あとは雑記を加えたメモ兼日記みたいなものになる予定です。

 

私の死後、棺桶に入れてもらったり、告別式を演出してもらうために使ってもらえれば本望ですが、ひとまずはこういうのが好きな人もいるんだな、程度でいきましょう。